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戦後73年・伝える記憶5 一木大佐通じて平和考えて 関口さんが検証本出版

関口さんが出版した再検証本

 島々を舞台とした軍事史を研究している防衛大学准教授の関口高史さん(53)が、高森町出身の旧陸軍軍人、一木清直大佐と太平洋戦争で指揮した支隊を再評価した検証本を2月に出版した。

 執筆にあたり、同町を訪問して調査を行ったほか、同支隊を題材に平和を考える講演会を行った関口さん。「地元出身にも関わらず、飯田下伊那では知らない人が多い。飯伊の人にこそ、一木大佐を通じて平和について考えて欲しい」と訴える。

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 太平洋戦争のターニングポイントとなったガダルカナル島の戦い(1942~43)を研究していた関口さんが、一木大佐と一木支隊に興味を持ったきっかけは日本と米国での評価の差だった。

 「別の進軍コースを通っていれば、米軍の防御は瓦解していたかもしれない」など、同隊の脅威を認め高く評価する米国の文献に対し、旧軍や関係者の資料などでは「偵察を怠り、寡兵でも勝てると信じ込んでいた」などと批判する内容が多い。この落差に疑問を持った関口さんは、一木大佐親族や部隊の生還者らから聞き取り調査を行い、7年掛けて1冊の本にまとめた。

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 関口さんは調査の一環で、2014年秋に出身地の高森町を初めて訪問した。歴史資料館で当時の村報を閲覧し、旧制飯田中学校での講演を聴講した町民らに話を聞いたほか、今も残る生家にも訪れたという。

 戦後、旧軍人を地元出身の有名人として取り上げ、語り継いでいる地域は多い。盧溝橋事件後に母校の旧飯田中学での講演した様子を報告した村報からは、戦中「地元の英雄」として持て囃されていた様子が伺える。

 そんな一木大佐が何故飯伊では忘れ去られてしまったのか。関口さんは「飯伊は国策に従って多くの人を満州開拓に送り出した地域。その責任感から、悪く言われることもある一木大佐のことを語れなかったからでは」と分析する。

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 著書では、一木大佐の誠実な人柄やガダルカナル島に上陸し、支隊が全滅に至るまでを史料や証言を基に描写。「支隊長が敵を侮り、僅かな兵力でも勝てると思い込んでいた」する定説に一石を投じた。

 多数の戦死者を出した背景には、陸軍の伝統的な戦術や、軍上層部の連携が足りず、適切な情報が与えられていなかったなどと指摘。さらには本来責任を取るべき上層部が全てを一木大佐に押し付け、その後に教訓が生かされなかったことなども描いている。

 関口さんは、これまで一木大佐の再評価が進まなかった理由として「責任を押し付けた軍上層部が戦後も生き残り、自己弁護に終始したため」と指摘。これは「お上の決めたことに文句を言うのは悪だ」という旧軍の組織的な欠陥が、現代の日本社会に引き継がれる要因になったとも話す。

 一木支隊の作戦の再検証を通じて、戦争の悲惨さを見つめ直すきっかけになれば―とする関口さん。「安全保障に関する議論が戦争と真摯に向き合わないものなら不毛と言わざるを得ない。戦争と平和は国民一人一人が真剣に向き合わなくてはならない問題で、平和を求めるなら戦争を知ることが大切だ」。

 ※一木清直(いっき・きよなお) 1892―1942年。市田村(現在の高森町)出身、旧姓加藤。旧制飯田中学卒業までを同村で過ごす。盧溝橋事件に関わり、太平洋戦争では一木支隊を率いて先遣隊としてガダルカナル島に上陸した。生家が現在も高森町に残っている。

(連載おわり)

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